一口馬主クラブの歴史を知ろう!
このシリーズでは、馬主リーディングを見ながら「一口馬主クラブの歴史」を振り返っていきます。
日本競馬史の出来事にも触れていきますので、往来の競馬ファンの方も楽しめる内容となっています。
今回は、1970~1980年代の一口馬主クラブの歴史を見ていきましょう。
1970年代【一口馬主クラブの黎明】
一口馬主クラブが誕生したのは、1971年に競馬法によって”名義貸し”の禁止が明文化されたことがきっかけです。
名義貸しの禁止によって、一口馬主クラブの前身である”共同馬主”が解散を余儀なくされます。
そこで、1975年に「友駿ホースクラブ」が、匿名組合契約を適用した仕組みを考案します。
これが国から許可されたことによって、一口馬主クラブの歴史が幕を開けたのです。
※このシリーズでは、現存の各クラブの歴史を振り返るのが目的なので、1975年以前の”共同馬主”時代も含めています。予めご了承ください。
- 1972年「友駿ホースクラブ愛馬会」のデビュー
◆一口馬主クラブの夜明け。「友駿ホースクラブ愛馬会」が登場。
初年度はリーディング131位で終える。
◆1位の佐藤重治氏は元調教師で「ターファイトクラブ」の祖。
- 1974年「ターファイトクラブ」のデビュー
◆佐藤重治氏と社台グループ創業者の吉田善哉氏が協力して設立した「ターファイトクラブ」が登場。
初年度はリーディング411位で終える。
◆「友駿ホースクラブ」は26勝を挙げ、19位に食い込む。
◆3位の谷水雄三氏は「ウオッカ」や「タニノギムレット」のオーナー。
- 1975年「グリーンファーム愛馬会」のデビュー
◆「グリーンファーム愛馬会」が登場。
初年度はリーディング1414位で終える。
◆「友駿ホースクラブ」は6位、「ターファイトクラブ」が8位と、それぞれ大躍進を遂げる。
◆3位の中井長一氏は、第39回日本ダービーを制した「ロングエース」のオーナー。
産駒には日本競馬史上初の白毛の競走馬「ハクタイユー」などがいる。
◆1位のメジロ商事は、その名の通り「メジロマックイーン」など「メジロ」のオーナー。
- 1977年「ロードサラブレッドオーナーズ」のデビュー
◆「ロードサラブレッドオーナーズ」が登場。
初年度はリーディング310位で終える。
◆「ターファイトクラブ」と「友駿ホースクラブ」がリーディングTOP3に躍り出る。
「グリーンファーム」は1334位と苦戦。
◆中央競馬の売り上げが初めて「1億円」を突破。
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1980年代【一口馬主クラブの隆盛】
1980年代は、オグリキャップの登場によって空前の競馬ブームが起きました。
同時に、一口馬主クラブ界にとっても激動の10年となります。
なんと10年の間に13クラブが発足し、各シーンに一口馬主クラブの存在がありました。
- 1980年「社台ダイナースサラブレッドクラブ」のデビュー
◆近代競馬の帝王「社台サラブレッドクラブ」が産声をあげる。
発足当時は「社台ダイナースサラブレッドクラブ」という名称だった。
2000年に現在のクラブ名へ変更となる。
初年度はリーディング194位で終える。
◆「東京サラブレッドクラブ」の前身である”ユーワホースクラブ”も誕生。
◆2位のさくらコマースは「サクラバクシンオー」や「サクラローレル」でおなじみの「サクラ軍団」のオーナー。
グループ会社に、焼き肉のタレなどを製造している「モランボン」がある。
- 1983年「社台サラブレッドクラブ」がリーディング1位を獲得
◆1980年のデビューから、わずか3年で「社台サラブレッドクラブ」が馬主リーディングを戴冠。
以降、2004年まで超長期政権が続き、日本の競馬界を牛耳る存在となる。
◆「ミスターシービー」が「セントライト」「シンザン」に次ぐ、史上3頭目のクラシック3冠を達成。
◆「メジロティターン」が引退。
父「メジロアサマ」から受け継いだ天皇賞馬のバトンを、8年後の「メジロマックイーン」へと繋ぐ。
- 1985年「シルク・ホースクラブ」のデビュー
◆「シルク・ホースクラブ」が登場。
初年度はリーディング1060位で終える。
創業者の阿部善武氏は、福島で絹糸の生産工場を営んでいたため、「シルク」と名付けられた。
当時は、ノーザンファームとの関係はなく、同じ福島の早田牧場と提携していた。
◆2位の西山正行氏は、「ニシノフラワー」や「セイウンスカイ」のオーナー。
Twitterでファンと交流したり、現在も競馬ファンに愛される馬主・西山茂行氏の父にあたります。
◆皇帝「シンボリルドルフ」が強さを見せる。
前年のクラシック3冠と有馬記念制覇に加えて、”天皇賞(春)・ジャパンカップ・有馬記念”を優勝し「年度代表馬」に選出。
◆栗東トレセンに坂路コースが新設。
以降、長らく続く”西高東低”のパワーバランスのきっかけとなった。
- 1986年”一挙6クラブ”がデビュー
◆岡田総帥が率いる”マイネル軍団”、「ラフィアンターフマンクラブ」が登場。
初年度はリーディング828位で終える。
◆「キャロットクラブ」と「ローレルクラブ」が登場。
初年度のリーディングはそれぞれ、479位と1228位。
◆他、現存クラブの前身クラブが登場。前身クラブ名 ⇒ 現存クラブ名 未来競馬 ウインレーシングクラブ ジョイ・レースホース サラブレッドクラブライオン 荻伏レーシング・クラブ YGGオーナーズクラブ
◆「ダイナガリバー」が第53回日本ダービーを制し、一口馬主クラブ初のダービー馬が誕生。
社台グループにとっても、初のダービー制覇だった。
◆メジロ牧場が「メジロラモーヌ」で悲願のクラシック制覇。
- 1987年「大樹レーシングクラブ」のデビュー
◆「大樹レーシングクラブ」が登場。
初年度はリーディング1264位で終える。
◆「広尾サラブレッド倶楽部」の前身である”サウスニアレースホースクラブ”も誕生。
◆競馬界のイメージアップ策として「JRA」と「WINS」の愛称が採用。
- 1988年「ユニオン・オーナーズ・クラブ」のデビュー
◆「ユニオン・オーナーズ・クラブ」が登場。
初年度はリーディング448位で終える。
◆”白い稲妻”「タマモクロス」と”芦毛の怪物”「オグリキャップ」の激突。
芦毛のスターホース2頭は、”天皇賞・秋”と”有馬記念”で激突し、共に1勝1敗の名勝負を演じた。
- 1989年「日本ダイナースクラブ」のデビュー
◆「日本ダイナースクラブ」(現サンデーレーシング)が登場。
初年度はリーディング663位で終える。
◆武豊騎手が初の全国リーディングトップを獲得
デビュー3年目、20歳になった武豊騎手はG14勝を含む133勝を挙げて、全国リーディング1位に輝く。
2位の岡部幸雄騎手とは39勝差をつけていた。1989年 一口馬主クラブのリーディング順位
社台ダイナースサラブレッドクラブ(社台TC) 1位 ユニオン・オーナーズ・クラブ 12位 友駿ホースクラブ愛馬会 14位 荻伏レーシング・クラブ(YGG) 17位 ラフィアンターフマンクラブ 24位 ユーワホースクラブ(東サラ) 73位 シルク・ホースクラブ 76位 ジョイ・レースホース(ライオン) 80位 ターファイトクラブ 134位 グリーンファーム愛馬会 148位 ロードサラブレッドオーナーズ 202位 キャロットクラブ 271位 ローレルクラブ 365位 サウスニア(広尾) 596位 日本ダイナースクラブ(サンデー) 663位 未来競馬(ウイン) 809位 大樹レーシングクラブ 964位
まとめ
1970~1980年代の振り返りはこれでおしまいです。
一口馬主クラブの歴史を感じていただけましたか?
シリーズは、1990年代以降へと続いていきますので、是非続きも読んでいってください。
オススメ記事
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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