馬主リーディングで見る一口馬主クラブの歴史【1990年代】

馬主リーディングで見る一口馬主クラブの歴史1990年代 一口馬主クラブ
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一口馬主クラブの歴史を知ろう!


このシリーズでは、馬主リーディングを見ながら「一口馬主クラブの歴史」を振り返っていきます。


日本競馬史の出来事にも触れていきますので、往来の競馬ファンの方も楽しめる内容となっています。


今回は、1990年代の一口馬主クラブの歴史を見ていきましょう。

 

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1990年代 前半【一口馬主クラブの進撃】


競馬法の改正によって共同クラブの解散が余儀なくされた”馬主クラブ”。


1975年に「友駿ホースクラブ」が匿名組合契約を適用した仕組みを考案し、一口馬主クラブが誕生しました。


70年代の終わりには「友駿ホースクラブ」と「ターファイトクラブ」が馬主リーディングTOP3に食い込み、競馬界における一口馬主クラブの存在が徐々に大きくなっていきます。


1980年には、近代競馬の帝王「社台サラブレッドクラブ」が産声をあげ、競馬界の勢力図が大きく塗り替えられることとなりました。(※正式には2000年まで「社台ダイナースサラブレッドクラブ」)


それだけでなく、80年代の間に13クラブが誕生し、一口馬主クラブの隆盛はだれにも止めることのできないビッグウェーブとなっていきます。


それでは、競馬界全体が最も勢いのあった激動の1990年代を振り返っていきましょう。


  • 1990年
    激動の時代の幕開け
     
    1990年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. メジロ牧場
    3. 松岡正雄

    ◆「社台サラブレッドクラブ」の独壇場が継続

     2位のメジロ牧場とは3倍以上の賞金差、勝利数は約5倍の差がついていた。


    ◆”芦毛の怪物”「オグリキャップ」の引退。

     第二次競馬ブームの火付け役となった「オグリキャップ」が第35回有馬記念で有終の美を飾り引退。


    東京競馬場で史上最多の入場者数を記録。

     アイネスフウジンと中野栄治騎手による圧逃劇で幕を閉じた第57回日本ダービー。

     入場者数は19万6517人と発表され、未だ破られないレコードとなった。

     駆け付けた約20万人から自然と沸き起こった”ナカノコール”は、競馬が”スポーツ”として認められた瞬間だった。






     

  • 1992年
    「マイネル軍団」の猛追
     
    1992年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. 西山正行
    3. 山路秀則

    「ラフィアンターフマンクラブ」がトップ10入り

     『打倒!”社台グループ”』を目標に掲げ、着々と力を付けてきた”マイネル軍団”がリーディング7位まで追い上げる。


    ◆「トウカイテイオー」と「メジロマックイーン」の激突

     第105回天皇賞・春は、大ブームのウマ娘でもメインキャストとなった2頭の、最初で最後の競演となった。

     メジロマックイーンが快勝し、トウカイテイオーは5着に敗れる。



    ◆3位の山路秀則氏は「ナリタブライアン」や「オースミジェット」など、「ナリタ・オースミ」のオーナー。

     

     

  • 1994年
    個人馬主たちの”意地”
     
    1994年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. 山路秀則
    3. 平井豊光

    一口馬主クラブ馬のG1戦線での苦戦。

     馬主リーディングでは上位常連となったクラブでも、G1の舞台ではなかなか輝くことができなかった。

     トップをひた走る社台TCですら、重賞を一つか二つ勝てるくらいの高い壁で、所詮”質よりも量”で得た地位だと揶揄する声もあった。


    ◆ナリタブライアンが牡馬3冠達成。
     
     皐月賞3馬身、ダービー5馬身、菊花賞7馬身と、2着以下を突き放す圧倒的強さで、最強馬を語る上では外せない1頭。


    ◆社台ファーム分割

    前年に社台グループ創業者の吉田善哉氏が他界し、社台ファームを兄弟で3分割することとなった。

    こうして、「社台ファーム」「ノーザンファーム」「白老ファーム」が誕生。
     

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1990年代 後半【一口馬主クラブの支配】


所属頭数の多さで勝ち星や獲得賞金では圧倒的な強さを見せていた一口馬主クラブ。


1990年代前半では、G1や重賞での大舞台で主役を張れるほどの力はありませんでした。


しかし、1990年に社台グループが輸入した1頭の種牡馬が、日本の競馬を全くの別色に塗り替えていきます。


「サンデーサイレンス」


そのファーストクロップたちが充実期を迎え、「社台サラブレッドクラブ」を筆頭に社台グループはG1戦線でも猛威を振るうようになりました。


それでは、激動の1990年代の後編を引き続き追いかけていきましょう。



 

  • 1995年
    社台グループの支配
     
    1995年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. サラブレッドクラブラフィアン(ラフィアンTC)
    3. 平井豊光

    「社台サラブレッドクラブ」が1988年以来のG1勝利。

     サンデーサイレンス産駒の「ジェニュイン」「バブルガムフェロー」が、それぞれ皐月賞と朝日杯で優勝。

     1988年の「サッカーボーイ(マイルチャンピオンシップ)」以来のG1制覇となった。
     

    「マイネル軍団」再び。
     
     岡田総帥の理論に基づいて、独自路線を突き進んできた「ラフィアンターフマンクラブ」が、初のリーディングTOP3に登場。

     社台サラブレッドクラブの背中を遠くに捉える。


    アラブ種競走の廃止

     生産規模の縮小に伴い、この年を最後にアラブ種競走の廃止が決まった。

     ラストイヤーのアラブ種年度代表馬となった「ムーンリットガール」は、スプリンターズステークスにも参戦したことで話題となった。


    ◆阪神淡路大震災の発生
     
     1月17日、関西地方に甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災が発生。

     JRAは、兵庫県に5億円、神戸・宝塚・西宮の3市に1,000万円の義援金を送った。
     



     

  • 1996年
    進撃のサンデーサイレンス
     
    1996年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. さくらコマース
    3. サラブレッドクラブラフィアン(ラフィアンTC)

    サンデーサイレンス産駒が猛威を振るう

     「社台サラブレッドクラブ」所属の「バブルガムフェロー」が天皇賞・秋、「ダンスインザダーク」が菊花賞、「ジェニュイン」がマイルチャンピオンシップを優勝。

     他にも「イシノサンデー」が皐月賞、「ダンスパートナー」がエリザベス女王杯を制し、サンデーサイレンス産駒はG15勝を挙げる。


    「大樹レーシングクラブ」が躍進。

     1990年時点では534位だった「大樹レーシングクラブ」が8位に食い込む。
     
     「タイキフォーチュン」が第1回NHKマイルカップを優勝。

     見事に初代王者に輝き、クラブもジャンプアップでトップ10入り。

     時を同じくして「タイキシャトル」や「タイキブリザード」も本格化の兆しを見せていた。



     

  • 1997年
    「TEAM TAIKI」の短い栄華
     
    1997年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. 平井豊光
    3. 大樹ファーム(大樹RC)

    「大樹レーシングクラブ」がG13勝でTOP3入り。

     NHKマイルカップ初代王者の「タイキフォーチュン」は、その後不調に陥り再び輝くことはなかった。

     しかし、前年の春秋グランプリで惜敗していた「タイキブリザード」が安田記念を制し、2年連続のG1勝利を収める。

     秋には真打「タイキシャトル」が、マイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスを優勝。

     世界最強マイラーとして羽ばたくために、その羽根を広げようとしていた。



    ◆エアグルーヴの快挙

     ”女傑”「エアグルーヴ」が年度代表馬に選出。

     牝馬が選出されるのは26年ぶりの快挙だった。


    ◆ホクトベガ、UAEに散る

     1995年、川崎・エンプレス杯で18馬身差の衝撃的な勝利を収め、一躍ダート界のスターダムへとのし上がったホクトベガ。

     その後も交流G1を勝ちまくり、この年も川崎記念で「友駿ホースクラブ」の「キョウトシチー」を3馬身差で退けると、陣営はドバイワールドカップへの参戦を決める。

     遠征による体調不良や蹄のトラブルなど、万全の状態ではなかったことが起因したのか、最終コーナーで転倒し左前腕節部を骨折。

     二度と大地を踏むことは叶わなかった。



     

  • 1998年
    天国と地獄
     
    1998年 馬主リーディング
    1. 社台レースホース(社台TC)
    2. サラブレッドクラブラフィアン(ラフィアンTC)
    3. 平井豊光

    2週連続海外G1勝利勝利

     「シーキングザパール」がフランスG1モーリス・ド・ギース賞を優勝し、初めての日本調教馬による海外GI制覇を成し遂げる。

     翌週も同じくフランスG1のジャック・ル・マロワ賞を「タイキシャトル」が制し、2週連続の快挙に日本中が湧いた。

     「タイキシャトル」はこの年の安田記念、マイルチャンピオンシップも優勝し、春秋マイル制覇も達成し、短距離馬として初の年度代表馬に選出された。



    ◆沈黙の日曜日
     
     この年の天皇賞・秋。

     日本競馬の夢がひとつ、大けやきの向こうへ消えた。


    ◆未来競馬 ⇒ ウインレーシングクラブ

     未来競馬からウインレーシングクラブへと名称が変更。

     現在の岡田義広氏体制に変わるのは2011年。


     

    1998年 一口馬主クラブのリーディング順位

    クラブ名順位1989年時
    社台ダイナースサラブレッドクラブ(社台TC)1位1位
    ラフィアンターフマンクラブ2位24位
    大樹レーシングクラブ6位964位
    日本ダイナースクラブ(サンデー)7位663位
    ユニオン・オーナーズ・クラブ20位12位
     ターファイトクラブ 21位134位
    グリーンファーム愛馬会25位148位
    友駿ホースクラブ愛馬会28位14位
    ジョイ・レースホース(ライオン)29位80位
    ロードサラブレッドオーナーズ33位202位
    シルク・ホースクラブ34位76位
    キャロットクラブ86位271位
    ユーワホースクラブ(東サラ)98位73位
    荻伏レーシング・クラブ(YGG)138位17位
    ローレルクラブ222位 365位 
    サウスニア(広尾)313位596位
    ウインレーシングクラブ 392位 809位
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まとめ

 
1990年代の振り返りはこれでおしまいです。


一口馬主クラブの歴史を感じていただけましたか?


シリーズは、2000年代以降へと続いていきますので、是非続きも読んでいってください。

 


 

ユーマ
ユーマ

最後まで読んでいただきありがとうございます。

おウマ
おウマ

一口馬主クラブについて詳しく知りたい方は、こちらからどうぞ!


 

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